息子誕生までの俺の36時間

今から2年前の2016年5月22日(日)12時01分、息子が生まれました。

 

病院へ

21日(土)夜中の0時過ぎ。

どうやら4時間前から陣痛が始まったみたいです。微弱で不定期なので様子をみることにしました。
2時頃、妻は徐々に強くなる痛みで寝れなかったようです。僕は寝てました。へへへ。

病院(産院)に電話で状況を伝えると、今すぐ来いということです。予め妻が用意してた出産グッズを車に積み急ぎました。
もう生まれてくるんじゃないか、とうとう親父になるんか!とこの時は思ったけど、検査結果は微弱陣痛の初期。子宮口はまだ固くほとんど開いてない、すぐには生まれないだろうと。

しかし、今からでも翌日からでも入院費用がかわらないという助産師さんの助言もあり、妻は微弱でも辛そうだし、このまま入院することにしました。ナイスプラン。

 

 

一旦帰宅

僕はどうしたらいい。

そういえばこの場合の旦那とは、妻の秘書であれと誰かが言ってました。
腰をさすっててあげようか。タイム計測的なことでもしたほうがいいのか。

などとソワソワしてる僕に助産師さんが言いました。
ここに居てもやることなどない。出産に立ち会うのなら今は体力を蓄えるべき。
帰りたまえ。

痛がってる妻をおいて帰るのは気が引けるけど今は待機。これが男の現実ですか。

付き添いの準備やら入院で足りないものを買い揃えてまた来ます。準備といっても今後に備えて寝る事と簡単な身支度くらいだけど。

 

病院から出ると空が明るくなってました。

 

 

再び病院へ

10時頃に目が覚め、自分の準備を整えつつ近所のコープやキリン堂で必要な物を買い、再び病院へ向かったのは昼過ぎ。

土曜のため病院は午前診療のみで人が少なく、売店は開いてるけど薄暗くちょっと怖い。

産婦人科棟の病室へは、面会時間以外なのでインターホン越しに顔を晒し名乗ることで内側から開けてもらいます。
セキュリティ、万全ですね。

病室は個室。
さて、妻は痛みとの戦いでゲッソリしてるんじゃないか。
恐る恐る病室に入ったけど、ケロっとした顔で昼飯を食べてました。

どうやら、あれからしばらくして徐々に痛みが弱まり、今では病院に居づらくなるほど何もなくなってしまったようです。

話に聞いてた出産までの流れとなんか違う。

 

誕生まで、いましばらくかかりそうです。

 

 

初びっくりドンキー

体調が良さそうな妻を見たら急に腹が減ってきたので、近くのびっくりドンキーに遅めの昼飯を食べに行きました。仕事以外の一人外食は久しいな。

ハンバーグではなくチキンをオーダー、900円ちょい。

今まで一度も行ったことなかったけどセットメニューはなかなかの値段なんですね。700円台とかで食べれる安い店だと勝手に思ってました。

ただそれだけです。
昼飯はついては以上です。お返しします。

 

 

陣痛再来

昼飯から戻りしばらくすると、また来ましたよ陣痛。

でもまだまだ生まれるとかじゃないらしい。

助産師さんの助言に従い、陣痛を促進するために病院の周りを散歩することにしました。我慢して階段の登り降りもしたほうが良いと。
もちろん僕も付き添います。

陣痛の波がくると立つことも喋ることも出来なくなるくらい痛そうでしんどそうなのに、これでもまだ序章すか。
出産経験者からしたら、アマいこと言っちゃってと思うかもしれませんが、初めての事なので何度も「そろそろか!?」と思ってしまうんです。

 

 

もっかい帰宅

陣痛は不規則で未だ微弱の様子。

ここで僕は晩飯とシャワーを浴びる為に、家に帰ることにしました。陣痛が辛かったり生まれそうになったら電話してくれとも言えないので、急いでまた病院に帰ってきます。

ほぼ毎日家で料理を作り(作ってもらい)酒を呑みますが、さすがにこの日は料理してる時間などないし酒も呑みません。

ささっとコープでうどんと巻き寿司がセットになってる弁当を買って食べ、長期戦に備えておにぎりやらサンドイッチを何個か買い、病院に向かいました。

ただそれだけです。

ただそれだけですが、個人的には何故か強く思い出すこの日の一人飯。
昼飯のびっくりドンキーも、当時のレシートは今でも残してますから。

 

 

陣痛加速

夜間口から病院に戻ると、病室では助産師さんが機械を使って陣痛の周期やら強さやらを分析してました。

陣痛自体は段々と強くなっていると値に出ていますが、やはりまだ出産が近づいてると言える陣痛じゃないそうです。

陣痛の耐え方がほんとうに辛そう。
下手な腰のさすり方をすると本気で怒られるし、トイレに行くのも陣痛の谷間を見計らい、僕が支えて便座に座らせる。その間に陣痛の波がくると用を足すどころではなくなります。

 

 

夫として父親として

日付がかわり、22日(日)の夜中。

妻が陣痛と戦いはじめて何時間経つか。
陣痛が強めになってからは6時間ほど、初期の微弱陣痛からは途中休憩もあったけど29時間になりますか。

妻はこの2晩ほとんど寝れておらず、助産師さん達が入れ替わり立ち替わり様子を診に来てくれますが、やはり出産が近いとは言えないと。

妻の体力が心配。

今後さらに不眠不休で陣痛の痛みと何時間も戦いながら出産するんですか?
僕にはそんな体力があるとは思えないんですが。

 

僕はこの時考えてたんです。

これはまだ妊娠中だった時に妻とはなんとなく話をしたこともあるんですが、今後極限に達し、妻と今から生まれてきてくれる我が子、いずれか一方を選択しなければいけない局面をむかえたとしたら。

 

正解などなく考えるだけで悲しいことだけど、ただ決断はしないといけない。

堂々巡りですが
決断できるのは夫であり父親である僕だけ。
この重い決断を背負えるのは僕だけ。

 

僕の決断は、「妻の容態を優先する」

 

 

鎮痛剤を投与

あと何時間かかるかわからない。

当直の先生も、今日の夕方くらいかもしれないし今日は生まれないかもしれないと。少し難しさを感じているようで、一つ提案がありました。
「検査で問題がなければ鎮痛剤の投与が可能、効力は約四時間。」

しかし副作用的に、出産が少し長引く可能性もあるようです。

少しでも寝てほしい。
体力を整える事が優先と考え、僕は鎮痛剤の投与をお願いしました。

 

 

しばしの休息

妻は鎮痛剤の効果で泥のように寝てます。先生方も退室され、さっきまでが嘘のように静か。

母親とは身を削って子を生んでくれる、本当に命懸けです。
これ、キレイ事じゃないです。心からそう思う。

物音をたてないよう夜食用に買ったおにぎりをソファーで食べ、ナースセンターの助産師さんに「よく寝てますありがとう」と簡単な報告とお礼をし、僕もそのまま休みました。

ソファーかてぇな。

 

 

主治医からの提案

22日(日)朝7時過ぎ、妻は目を覚ましました。

先生の言われた通り四時間くらい効力はあったようです。
妻に若干生気が戻った気がする。

しかし残念ながら進展はほぼない様子。初期の微弱陣痛から既に36時間以上経つけど、未だ出産が近いという言葉が誰からも出ない。
分娩室がこんなに遠いものとは。

10時頃、主治医が診察してくれました。
この診察で展望や今後の方針、処置の提案がされるはず。こっちも聞きたいことがいっぱいある。
診察の結果は、やはり思わしくなく今日中に産まれるとも言えない様子、難しいようです。
続けて主治医の口から思いがけない言葉がでました。

緊急帝王切開の選択肢もあります。

なんと。
主治医が帝王切開を提案した理由を明確に覚えてませんが、ここにきて「帝王切開」が浮上するとは。

 

電光石火

「夫婦で話し合って30分後に回答を」

そう言われ部屋に戻りましたが、
話し合いも何も以前から帝王切開による出産を夫婦で希望してましたから。

答えは一つです。

ここから、
今までのジリジリとした時間がウソのように、
出産にむけ、電光石火のごとく動き出しました。

10時半過ぎ、主治医に決断を伝え、帝王切開の準備の為に一時的に病室を移動。
妻はその病室で着替えや検査、点滴、麻酔。
僕は(手術の)承諾書などにサイン。

準備完了後、妻はベットのままガラガラと分娩室(手術室?)のある上の階に運ばれていきました。これが確か11時半頃。

 

帝王切開の決断から手術開始のここまで、わずか一時間足らず。

 

 

ご対面

僕はエレベーター前で一旦お別れです。
元の部屋に戻り、帝王切開になった事と簡単な経緯を親族に連絡しておきました。

12時過ぎ、
さて何時頃産まれるんだ、ウチのおチビは。

ソファーに腰掛け、記念すべき息子との対面の瞬間をシミュレーション。
しようとした矢先。

この病院では聞いたことのないようなボリュームの産声が、病室の外から聞こえてきました。
「ぎゃーーーうぎゃーーー」

テレビの音が聞こえん。
それはそれは大きな、元気すぎる産声。エレベーターホールの方向から聞こえてきます。

そしてその産声がだんだん近づいてきたかと思うと病室のドアが開き、

ほら、あなたのパパでちゅよー。すごい元気な子!」(助産師さん)

あの産声の主はウチのおチビでしたか。
パパ、ご対面の準備出来てませんよ。

夢にまで見た我が子を前に、最初の数分はどう接していいか迷った。言葉がでなかった。

 

とりあえず。

初めまして。パパです。

 

 

おわり。

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