エゴやな

親はどんな気持ちで名前をつけたのかと。
ニュースや新聞で加害者の名前が報道されると、そう考えてたんですけどね。

命名

子供が誕生する前後というのは、病院関連や役所関連の手続きやまわりの人達への連絡、仕事の調整、陣痛との格闘(の支援)など何かとやることが多く忙しいのですが、その中には「命名」というメインイベントがあります。

誕生前後とは言いましたが、名前の候補を考えたり決めたりするのは誕生の数ヵ月前どころか何年も前から考え温めている人も多いのではないかと思います。

僕には三歳になる息子がいますが、もちろんこの子への命名にはかなりの思い入れがありました。

ちょっと古風ないわゆるシワシワネームで、呼んでもらいやすく覚えてもらいやすい名前。
僕がまだ学生の頃から「将来男の子を授かったら」と長年温めてた名前です。
漢字は妻が素晴らしい字を探し考えてくれたので、清々しく心の優しい、皆からも愛される人になって欲しいという思いを含めることができました。

他に2つほど命名候補はあったけど、対面した瞬間に今の名前が一番合ってると直感し決めました。

すごく良い名前を付けてあげられたと思ってます。

息子はまだよくわかってないかもしれないけど、今後成長し気に入ってくれたらうれしいし、友達や先生、上級生や下級生からは苗字ではなくその名前で可愛がってもらえたら幸せです。

ちなみに僕の名前は叔母(母の妹)が考えてくれて両親が決定し、近所のお坊さんが字画のよい漢字をあててくれたと聞いてます。有り難いことで、僕も自分の名前はすごく気に入ってます。

被害者ズラや

多くの親たちは、子供の名前には希望に満ちた将来とその子の多幸を思い、そこに自分達の希望や願望をちょこっとだけ乗っけてるんだと思います。

しかしある日、不幸にも何かの弾みで我が子が事件の加害者になってしまう場合がある。

これは全く他人事ではなく誰にでも起こり得ることだと思うんですが、「強盗致傷の疑いで○○ △△容疑者を逮捕しました。」などといった報道を観、加害者の名前を目にする度思うことがあったんです。

この者がこの世に無事誕生した時、
親は感無量、親戚や知人などとお祝いムードだったのではないか。少しの不安と大きな責任を抱えながらも満ち溢れる歓びと愛しさのなかで渾身の命名をしたのではないか。
名前に「正」という字があれば、正しい行いを望んでいたのだろう、「誠」とあれば嘘のない、「翔」とあれば大きく立派に羽ばたいてほしいと望んだのかもな。

「親は誕生を歓んだはずなのに何故こんなことに」
「命名にはすごい愛情と思い入れがあったはず」
という。
そういった加害者の親の想いを勝手に想像し、居たたまれなくなったわけです。

自分で言うのもおかしな話ですが、ずいぶん勝手だなと思います。
親が被害者ズラやなと。

積み上げた結果

心理学者などの専門家じゃないけど、
踏み外してしまう結果を招いたのは、ほとんどの場合においてその子だけが原因ではないはずです。

友人関係や職場でのストレス、金銭トラブル、恋人や友人の裏切りなどがトリガーとなり一瞬の判断ミスや強烈な感情がそうさせてしまうこともある。

しかしそれとは別にもっと根本の話で、親や家庭環境が影響してるということ。

幼少期や思春期などに親からの愛情が極端に欠けていた、逆に愛情をもて余した、など親の愛情の注ぎかたに問題があり何かが欠落しているのかもしれない。
DVや虐待、貧困など子供の力では坑がいきれない荒れた家庭環境だったで何かが歪んでいるのかもしれない。
受験や競争、強い躾などで過度のプレッシャーを受け続けストレスをかかえて何かが溢れそうなのかもしれない。

様々なものが積み上げられ心に傷や穴、壁をもちながら成長した結果であることも考えないといけないということです。

鶏と卵のような話になりますが、その子の未熟さ、身勝手な振る舞い、偏った理屈などが要因であることも当然の事実であり、被害者がいれば加害者が悪いのは言うまでもないですが。

さいごに


親が勝手にいだいた我が子への希望や願望はただのエゴ。
親が勝手に描いた夢を我が子に背負わせすぎないように。
子の成す結果は、親の行いに起因する。

戒めです。
親3年目。

意識高い系とか言わないでください。
酔っぱらってはいないです。

息子にムゴイ仕打ちもしてないと思ってます。
ただ危機感アリ。
このままではなんか僕が息子の人生を大きく歪めてしまうとか大きな影響を与えてしまいそうな。

今からでも遅くないはず。
自分への戒めです。

おわり。

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