今住んでいる家は、生活に必要なモノが手軽に手に入る環境にありません。
そんな中で生活をしていますと「モノのアリガタミ」を感じる機会が増えたような気がします。
最近は感じることが少なくなってましたからね「モノのアリガタミ」を。
徒歩15分くらい
山を100メートルほど上がった場所に家はあり、駅までは徒歩17分から20分程。
駅からは言うほど離れてませんが、人里からはちょいと離れてますので近所にコンビニはもちろん商店や病院がなく、自動販売機もありません。
近代文明を確認する手段は眼下にひろがる西宮市の夜景です。
最寄りの自動販売機はというと、駅から家側に徒歩3分ほどのコインパーキングの前に設置された自動販売機ですので、家からは徒歩15分くらいということになります。
徒歩15分ということは、真夏だったら間違いなく死んでしまうということですね。
そういえば昨シーズン、山の中腹で3名程の亡骸を見たというのはウソだからやめておきます。
僕が生まれ育った漁師町は電車も走っていないしバスも1時間に一本以下というド田舎ですが、それでも徒歩10分以内に自動販売機くらいはありましたよ。
ジュースは車で買いにいく
駅の方向ではない徒歩10分程のところにスーパーがありまして、厳密に言えば最速は徒歩10分のこのスーパーでジュースは手に入ります。午後9時までならね。
しかしジュースを気軽に買えるとは言い難いことにかわりありません。坂道ですし。
急な来客などでコーヒーやお茶を切らしている時などは「しまったーっ!!!」となります。
それは亀仙人から『魔封波じゃぁっ!!!』を食らいそうになるピッコロばりに、青ざめ絶望するわけです。
まぁそこまでではありませんが、なかなか焦ります。
なぜあの時あの場所で買っておかなかったのだと自分を責め後悔するのです。
あの時あの場所に帰りたいと思うのです。
そしてすぐに許してあげます。
気を取り直して車で買いに行きます。
これはタバコやお酒でも同じです。
車でわざわざ買いにいきます。
酒を飲んでしまった後だとマジ凹みます。
もちろん飲酒運転反対。これはダメ、しません。
タバコはもうどうしようもないので我慢します。
酒については何かないかと家中をあさります。妻にも聞きます。
何も出て来なかったら料理酒を飲みます。軽いア〇中ですから飲んでみます。塩っ辛いです。
タクシーを呼んでまで買いに行く程バカではありません。
でも料理酒でもいいから飲みます。
酒呑みクソ野郎と呼ばれてます。
アリガタミ
今までは「なければ買いに行けばいい」くらいの生活でしたが、今はそれができない。できない生活をしているとどうしても上述のような後悔を何度か味わいます。そして今では予めストックをかまえることを体が覚えました。レベルアップ。ナイ生活レベルが3くらいアップしているような。
アルコールがないと落ち着いて生活できない半分ア○中のようなものなので、酒などの嗜好品には特に気を使います。無くなった時のあの心細そうな顔、不憫に思えてなりません。自分が。
「郷に入れば郷に従え」的なことですね。
何を当たり前の事言っちゃってんの?
という方もいるでしょうけど、今までアル生活をしていた僕にとっては新鮮なんです。
自動販売機もそうですがスーパーやコンビニなどがいつでも利用できる環境にありませんので、食材は週末に買い揃えておくだとか、宅配を利用するなど考えて生活するようになります。
そうすると今ある食材やストックしているモノに対する意識、アリガタミが自然と強くなるように思います。一つ一つのモノに対して「今ここにあってくれる」という、いつでも手に入るといった生活をしていた時にはなかった気持ち。
飲食店も近くにありませんので、外食でお酒を呑むとなると行きも帰りもタクシーです。
遠いなかでも比較的近い場所に酒の呑める蕎麦屋の一つでも見つけると、これが貴重でありがたい存在に感じるんです。
繰り返しですが、コンビニは近所にないです。
だから日常使いをしなくなりました。
そうなると休日家族で外出した時、コンビニに寄るだけですごく楽しいという事を知りました。「今こんなん(商品)あんの?」「質高いな」「コーヒーうめぇな」など、ただコンビニに行くだけでもう楽しい。
「何でもないようなことが、シアワセだったと思う」とリーゼントのオッサンが愛だの恋だのと昔歌っていましたが、こういうことも当てはまるんでしょうか。
もちろん便利な場所に住んでる人の話を聞くと羨ましく思うことはありますよ。
でも、利便性の低い環境では工夫が生まれ、考えて生活するようになる。考えながら生活するのは楽しい。そして、今まで当然のようにあったものがない、できていた事ができない。満たされないことでアリガタミを感じシアワセな気分になれる今の生活、結構好きです。
おわり。