小学生のころ癖になった遊び

小学生のころ、放課後学校に残って色んな遊びをしてました。

運動場で野球やサッカー、鬼ごっこや泥警などで汗を流すことがほとんどだったんですが、ある時期親友とよくやった遊びが「どっちの文章の方が意味不明か」というものでした。

主語を文ごとに変えてみたり、言葉の使い方をわざと間違えてみたり、ストーリーの途中で違う話題にしたりと、「意味不明っぷりからの面白さ」を競ってました。

今思えば実は国語の勉強にもなりそうな遊びだったように思います。

しかし、最終的にはストーリーなどなく単語をバラバラに繋ぎ合わせただけの100%意味のわからない文章を披露し合う、ただのふざけあいになりましたが。

ここまで、たぶん何言ってるかわかりませんよね。

最初の頃はこんな感じ。


『昨日、朝ごはんを食べながらテレビをみていた時、ふとある事を思い出しました。
当時飼っていた犬が小屋から足一本分しか出せなくなってしまい、ぎりぎり母から怒られた日のこと。

それは深い谷底から聞こえてくるかのような。
かなり大きな声だったからか、なんと隣家の犬という犬が横並びで山の方へ向かって行くんです。

めっちゃ動いとるとおじいちゃんに言われたので外に出てみたんですが、目の前で起こっていることがまるで夢の中のようで何とも信じられず、満を持してその事を住人に確認すると、江戸中期まではやはりそこがお肉だったようなんです。

それが必要悪だったと言われるとあまり良くないことが起こりそうで、僕は目の前にある琥珀色のブランデーを透した先の洗濯物の片面だけを見ながら思ったのです。おわり。』

これは今なんとなく組み立てた文章ですが、だいたいこんな感じでしたか。
こういったことを当時はキャッキャ言いながら楽しんでたわけです。

終わりの方はこんな感じ。


「結局何の話かわからん」とか「なんか日本語がおかしい」という、それなりに頭を使っていたのはここまでで、最終段階初期の頃になるとセンテンスが成り立たなくなり、冒頭から何の話なのかわからないレベルになりました。

『それは仮にラーメンがあった場合でしょう。
もっとも、人に言われることが結局は整理整頓から恥ずかしさを外して、その道を横にしただけで一層下がるのではないのかという疑問文がまず1点と、寝る瞬間の兵庫県側もそうで、3番線は早目にカズオだけが来たのかも知れないし、魚の耳のような言い方になっていたのは難しいです。

当初は髪の中に丸があった為だけで、丁重にお断りしたいという感じで気を付けて頂きました。では何故、去年の内に国が隣だったのか、ただそこに入りたいと思ってマスクに紛れて掴まりながら見たいわけではありませんから謝った方が良いです。おわり。』

そして末期…


『先生が畳かもっと海のどっちかですが、電車は記憶の中のように見上げてみました。なおさらです。彼はいないけど、僕は野生でズボンに決め事となるとなるべく接頭語に気付く内は冷たいティッシュがいくつにできるのか、老舗の外で席に見に行ったらなんでもそうです。

早々に来ましたが、口で待ったなしにされることを昔は、そこに甘いのがデリバリーだとやっぱ自転車がお腹いっぱいに泣き面にハチと言ったはずがワカメと思います。おわり。』

ちょっと頭がおかしくなりそうなのでここで終わります。
このレベルに達すると、もはや述語レベルで成立しなくなり適当に思い付いた言葉を羅列するだけ。

そして遊びの限界に達したと感じてか、やれることはやった、極めたと思ったのか以降忘れたかのように遊ばなくなりました。

アカン、なんか、
真剣に書いてるはずの文章も変な感じがする。






おわり。

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